セルフポートレート vol.7・・・明日 25日(日)・26日(月)は定休日につきお休みさせていただきます (町田市の外壁と屋根のことなら ぺんき屋美装)


1982年の昭和57年頃のセルフポートレート続きです
前回の内容はこちらからご覧になれますセルフポートレートvol.6

1985年・昭和60年 21歳の春、お世話になった五本木塗装店を退職し独立しました
独立と言っても塗装職人としてたったの4年しか経験が無く
経営の事など何も分からない状態でのスタートです。

経営の仕方を知らないという事がどれほど怖いか後々とても苦労しますが、この時は全く知るよしも有りませんでした。
ただただ腕には自信があると言うだけ
今思えば、ただの世間知らずですが、若さというパワーは凄いです(笑)

そもそも、何故たった4年しか経験していないのに、独立する事になったのかと言うと、五本木塗装の息子たちとの差別的な扱いに嫌気がさしたという事が一番だと思いますが、居られない状態だったんですよね。
その頃の私は、会社に貢献したいとサービス残業もいとわず懸命に作業に取り組んでいました
いつか独立しようと思ってはいましたが、具体的には全く考えていなかったんです。

『こんなに良くしてやったのに・・』と文句を言われながら五本木塗装店を去る事になった私は、他の塗装屋や他の職種などどこか他に勤める気にもなれず、知り合いの社長さんからの勧めもあってダメ元で独立する事に決めました
それは、自分の技術が他人を幸せにして自分の存在意義が唯一感じられるのが『塗装』だったからです。

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まだ塗装の営業など無い時代です
新参者が直接お客様との取引など出来るはずもありません。
誰もが通るのは工務店などの『下請け工事』です。
色々な『つて』を使って数軒の取引先を得る事が出来ました。

話が後先になってしまいましたが、修行していたのは地元の目黒区、駅で言うと東急東横線の学芸大学ですのでお客様や取引先は当然23区内です。
ですが、この頃私は母と力を合わせて一軒屋を建てる為、親戚が居て都内より土地の安い、相模原市に引っ越ししていました。
地元では何をやっても手助けしてくれる仲間や先輩、後輩が居て、上手く行かなくなったら甘えてしまうのではないかと考え、生意気にも自分の力量で世間に認めてもらいたいと考えていた私は地元を離れ知り合いの居ない地に身を置く決心をしたんです。
考えはカッコイイんですけど、結果は大変でしたね(笑)

工務店の仕事は新築が主で、外壁はサイディングが一般住宅にはまだそれほど浸透していなくて、基本モルタルしかありませんので、必ず吹き付け工事があります。
あの時工藤さんに任せていただいた経験から数年、吹き付けは私にとって、すっかり得意な工事となっていました。
そして、内装の枠は必ず塗装です
この頃辺りから、床はアメリカの建売を真似て取り入れていた、じゅうたんからフローリングが主体となってきます
窓枠や巾木を床のフローリングに合わせてオイルスティンで調色して着色、最後はニスで仕上げるという工程です

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取引先になってくださった渋谷区恵比寿の工務店さんは大田区のカドヤ建設の下請けをやっていて、蒲田や六郷に6棟現場や8棟現場とまとまった建売を建てていました。
当時の社長は口うるさく、ヤル気を削がれる事もありましたが、新築の外部吹き付けと内装塗装を全て私に任せてくれました。
まだ駆け出しの若造に本当に有り難かったです

吹き付けは、スタッコの吹きっ放しです
これはデザイナーさんが私に『岩の様なイメージでごつく吹き付けて欲しい』と直接要望してくれました
当然私は私に仕事を任せてくれた工務店さんの顔を少しでも立てたいという気持ちと、デザイナーさんのイメージを実現したいという気持ちで実現に向けて施工に取り組みます
だけど、岩のようにごつくと言っても塗布量はある程度決まっていますので、知恵を絞って凹凸の輪郭がハッキリするよう仕上がりに工夫をしました

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これが高評価をいただき、カドヤ建設さんと何軒か取引の有る工務店さんの中から私と取引の有る工務店さんへの仕事の発注が増えたと聞いています。
ただ、材料は喰いましたね
でも単価は上げられない
ですので、明るいうちは外部の工事、暗くなったら内装の塗装と1日の労働時間を増やして何とかこなす毎日でした。
朝早く出て相模原から蒲田や品川へ行き、夜は9時くらいまで作業をしていた頃は大変でしたけど、やりがいも感じていて、それなりに充実していたように思います。
たった4年で独立してしまったので知らない事ばかりで、休みの日は建築や塗装に関わる本を読みあさりました。
だって塗装の工事の事を聞かれて『知りません』ってカッコ悪くて言えないですよね。
一流の職人として生きるには、カッコつけるくらいの根性は必要だと思うんです。
それが、人知れずとんでもない努力をすることになってもです。

バブル直前の1985年。
日本はとっても元気でした。

さて
今週も一週間ありがとうございました。
また、来週27日(火)からよろしくお願い致します!


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セルフポートレート vol.6・・・明日 28日(日)・29日(月)は定休日につきお休みさせていただきます (町田市の外壁と屋根のことなら ぺんき屋美装)


1982年の昭和57年頃のセルフポートレート続きです
前回の内容はこちらからご覧になれますセルフポートレートvol.5

1983年・昭和58年私は19歳この頃になるととくさんはどこかの会社に移ってしまい、まだ塗装の経験2年程度だった私はおじいさん職人さんと共に現場を任される事になります
このおじいちゃん職人さんは、社長のお兄さんだったんですけどね
この職人さんから『専務さん』と呼ばれ10代の私は良い意味でかなり調子に乗っていたと思います(笑)

自分が現場をまとめなければという強い意志が生まれ、時には社長にも、施工方法に対する意見の食い違いでかみつく日もありました。
この頃から私の考えは、全てはお客様のためにでしたからね
ありがたい事に、お客様からも指名をいただく事も多かったです
『あのおにぃちゃんに来てもらいたいんだよね』って感じですね。
今と違い、日本の住宅は塗装しなくてはならない箇所ばかりで、10年に一度では無く日々何かにつけ何らかの工事をするのが当たり前でした。
例えば、窓枠には必ず木枠が付き雨樋がブリキ製だったり、外壁や屋根にコールタールが塗って有り、コールタールが塗って有ればコールタールを塗らなければなりません。
五本木塗装店にもたくさんの個人のお得意様がいて手摺が錆びたからとか、下屋根の塗装とか木製の塀の塗装とか、細かい塗装工事がちょこちょこあって同じお客様としょっちゅう顔を合わせますから、御ひいきにする職人さんも出来てくるという訳です。

私はすっかり、五本木塗装店の『顔』となり正に『専務』のように立ち回るようになりました。

この時五本木塗装店で働いていたメンバーは、社長と私の同級の息子、その兄貴である長男、おじいちゃん職人さん、その他職人さん1人と私の5人でした。
基本家族経営のお店で、他人は2人だけという事もあったからか、私より経験のあるはずの社長の長男を、技術的に私が越えてしまった事から色々とすれ違いが起きて行きます。

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唯一なかなか経験のチャンスが無かったのが『吹き付け塗装』でした
なので吹き付けの仕事が入ると必ず長男が現場担当になります
塗装店の社長としては、息子より早く一人前になりそうな私にこれ以上技術や知識をつけられるのが気に入らなかったのでしょうね。
会社の発展なぞ全く無視の考え方は未だに理解に苦しみます。。。

そんな時に、救世主となる人物が現れます。
工藤さんです。
彼は、社長の奥さんの弟の仕事仲間でした。
社長の奥さんの弟も塗装職人でたまに手伝いに来てくれていたのですが、自分の仕事が忙しく、自分の仕事仲間の塗装職人であるベテラン職人の工藤さんを紹介してきたという訳です。

たまたま住宅の外壁吹き付け直しの仕事の依頼が来たので社長は『吹き付けタイル』の施工を工藤さんに頼みました
私は、その助手として材料を運んだりかき混ぜたりする要員として現場入りする事になりました。
リシン吹き付けは何度か見ていますが、タイル吹きこの頃は『ボンタイル』が主流だったのですが施工に立ち会えるのはとても楽しみでした。

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そして、当日
まともに見ていると怒られる時代ですから盗み見していた私に工藤さんは『しっかり見ていいよ』と笑顔で言ってくれました。
おかげで堂々と午前中は工藤さんの施工をじっくり見させて頂き大満足でしたが、午後からの施工が始まる時に『もう分かったでしょ?やってみなよオレが責任持つから』といきなり任せてくれたんです!

後から聞いた話だとあの時の私は人がやるのを目を輝かせて見ていて『まだこんなヤツがいるんだな・・』って嬉しくなったんだよねと、その時の気持ちを教えてくれました
失敗もあったけど断言した通り、私の代りに社長に頭を下げてくれた工藤さん。
会社内の小さな社会で孤独だった私ですが、こんな粋な先輩の居る職人の世界で一番になってやろうと心に決めたのでした。

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さて
今週も一週間ありがとうございました。
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しばらくブログをお休みしていましたが、本日から復帰させていただきます!
また、毎週土曜日にお届けいたしますので皆さまどうぞよろしくお願いいたします

今日は、1981年の昭和56年頃のセルフポートレートの続きです
前回の内容はこちらからご覧になれますセルフポートレートvol.4

当時の職人らしい職人で粋な職人だったとくさんの手元(見習い)として、とくさんと2人セットで施工をする毎日が続きます。
毎日の作業が終わり会社へ戻ると、『明日はこれとこれを積んで置け』と明日の車の支度を言いつけられます。
私は当然とくさんより早めに出社し昨日の工事を思い出しながら車に塗料や道具を積み込みます。
そこへ酒臭い臭いをプンプンさせてとくさんが出社
大体の場合『なんだこの積み方は』と用意した内容よりも、その積み方を注意されます。
これ以上ないだろうと自信たっぷりに用意して、ありがとうの一言も無くいきなりダメ出しです。。。。
だいたいの場合、こんな調子で朝から心は砕け、ヤル気を無くし現場へ向かいます(苦笑)

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毎朝思うのは『いつかいっぱしになったら顎で使ってやる!』という先輩とくさんに対してムカつく思い。
ヤル気がなくなってダラダラするのではなく、逆にこれでも文句あるか?ってムキになって作業していましたね。
この時の悔しい気持ちとナニクソ根性が、最後まで社会への自分の存在意義を感じるだけではなく職人多田の成長の原動力になったのは確かです(笑)

競輪場が見える花月園のマンションのベランダ手摺をとくさんと2人で担当させられたのはきつかったですね
何十世帯のマンションの手すりです、それも真っ直ぐな棒ではなくてカーブが3カ所程度あるグルグルしたデザインの手すりをオフホワイトで仕上げるんですが、まずはケレンこれは今もたいして変わりません、革スキでカンカンして錆を削り、サンドペーパーなどで仕上げます
そしてサビ止めを塗るのですが、当時の錆止めは光明丹という朱色の四酸化三鉛という鉛でした
色はオレンヂ色で、とても体に悪そうですが、これも当時は当たり前でしたので選択の余地無しです

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この画像の手摺よりも複雑で大きかったですが、当時の画像は無いのでこちらはWEBで拾ってきました

実際の塗装は、オレンヂ色のサビ止め下地にオフホワイトの仕上げです
これだけでも仕上げ塗装が透けてしまって大変なのに、刷毛は黒毛しかありません
黒毛は硬いんです。
現在は黒毛の毛の硬いハケを使う職人というか使える職人はほとんどいません。
今では、昆毛や白毛、化学繊維の刷毛を好んで使う職人が多いと思います。
柔らかい刷毛の方が透けを起こしづらく簡単に仕上げられますので。
ただし塗布量のコントロールは硬い刷毛の方が優秀です。
コントロール出来ればですが。

この花月園のマンションを担当した事が後々の自分には良い経験となりました。
当時会社から言われていた工程はケレン、錆止め、仕上げでした。
そう錆止めの次の上塗りを1回で仕上げなければならなかったんです。
仕上げを2回ではなく1回しか塗れない工程で、濃い色を淡い色で仕上げるための刷毛にかかる絶妙な力加減のコントロールを身に付ける結果になりましたからね
だって全体の半分程度が終わった頃にはとくさん毎日二日酔いで、全く仕事に出て来なくなってしまって残りの手すりを3ヶ月くらいかかって私1人で毎日同じ事をやっていた訳ですから上手くもなりますし、現場を最後まで投げ出さない我慢強さとひたすらに作業に集中する力は、まさにこの時身に付いたと言っても過言では無いと思います

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本来なら錆止めを塗って、中塗りを塗装、仕上げ塗装とオフホワイトを2回塗らなければ塗膜としてはダメなのですが、当時の私にそんな知識が有るはずもなく、会社に言われた通りにこなすのが精いっぱいでした。
もし当時『仕上げを2回塗らないと仕上がらない』と言ったらどうだったか?
きっと『いいからやれよ予算ないんだから』と言われたでしょうね
予算がないから全て仕方ないという考えは今でも多くの業者の常識ではないでしょうか。
まだ見習いの私は罪の意識など全く無く、言われた通りやれる自分が少しずつ一人前になっているという喜びに満ちていました。

時は1982年 昭和57年の秋の事でした

さて
今週も一週間ありがとうございました。
また、来週12日(火)からよろしくお願い致します!


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